写真のこと。
ここを覗いてくださる方々に、写真のことをお褒めいただくことがあります。
印象が強いのでしょうか。本当に時々、ですが。
嬉しいです。とっても。
でもいつまでたっても、自信が持てないのね。
それはきっと、私にはなんの技術も知識も、裏打ち出来るものがないからでしょうね。
だいたい、気持ちいいところでシャッターを切り、その後に少し加工します。
撮っただけのものっていうのは、曲で言うとまだデモのような段階です。
そこに在るものと、カメラが捉えたもの、私の目に映るもの、湧き上がったイメージ。
全部、少しずつ違うのです。かなり違う時もある。
それのどの部分を膨らませてゆくのか、バランスを取りながら加工します。
だから一括変換されてしまうアプリなどは、面白いけれど使いませんよ。
手を加えることが嫌いな方もいらっしゃるでしょう。
でも頭にあるイメージに近づけるためには、必要な作業です。
例えば、様々なエフェクターを使ってギターの音色を変え、表現するのと同じ。
念写でも出来れば、話は別ですけどね。
相方は「chieの写真は良いから、ちゃんと勉強してみたら?」と言ってくれます。
でも、たまにハラリと本を開くくらいで、ずっと躊躇したまま。
「こうあるべき」というものを知ってしまうと、雁字搦めになってしまいそうで。
ちょっと生真面目なところがあるんです、こう見えても。
以前、ヴォーカルレッスンを受けていた時、従っていろいろやっているうちに、
“自分の歌”というものがわからなくなってしまったことがあります。
何を歌っても、他人のもののような気がするのです。不安でよく泣きました。
いつのまにか歌うことが、少しだけ、楽しくなくなってしまった頃です。
それから、自分らしいと納得する歌が歌えるようになるまで、10年かかりました。
10年です。
そうなってしまったら、と思うことが、とてもとても、怖いのです。
本をあまり読まないのもそうで、書いた人の影響を受けるのが、やっぱり怖い。
すごく自信のある部分と、まったく自信のない部分が、背中合わせなのです。
感じるままに捉え、創造することが、オリジナリティを生むのでしょう。
そして同時に、いつもその向こうにいる誰かのことを考えます。
何かのはずみやキッカケで、聴いてくれるかもしれない、あなたのことです。
プロフェッショナルな(意識を持った)音楽家であれば、少なからず常に片隅に置いていること。
音楽はもちろん、写真だって、ホンのちょっとでも、楽しんでもらいたいのです。
長々お喋りしましたが、今日はとても穏やかで気分が良いです。
焦りも気負いもなく、フラットでゆったり。
今夜はペルセウス座の流星群、見れるでしょうか。