夏の色彩。
私の記憶の中の“夏”はなぜか、彩りは鮮やかなのに、孤独。というイメージ。
大人になると得てして、こなしていってしまう夏。
季節に関わらず、やるべきことがあるからね。
遊びたい!と思ってても、いつもあれよあれよという間に終わってしまう。。
でも子供の私にとっては夏そのものが、大きな波のようなものだったな。
朝起きてラジオ体操へ行き、プールや図書館に行く。
自転車で遠出して、川原や田んぼで虫やカエルやザリガニを捕まえる。
ポケットの100円玉を何に替えるかを真剣に悩み、祈るような気持ちでクジ引きをした。
そんなことが、ほぼ一日の間にぎゅっと詰まっていたかと思うと、甚だ感心する。
子供の夏の日は、なんて濃密なんだろうと。
そしてその思い出には決まって、孤独がつきまとうのです。
草むらをかきわけてカエルを探す手元とか、麦わら帽子のつば越しに見た陽炎とか、
プールサイドの緑色の床とふやけた足の指、すり潰したオシロイバナの紅。
蘇るのはパズルの1ピースばかり。
兄や友達と一緒だったはずなのに、その気配はどこにもない。
きっとそれだけ、ひとつひとつの遊びに夢中だったんだろうな。
夏休みが終わることなんて考えてなかったもの。
気がついたら、秋になってた。そんなだった。
時間の体感速度が、あまりにも違うんだなぁ。
せめてあの色は、忘れないでいよう。
鮮やかな色が好きな理由は、そんなところにもあるのかもしれない。